無敵の「水」

ブログと称している割には、ほとんどブログらしい使い方をしておらず、半ば放置気味ですみません。

実名を晒して公開しているサイトでありますので、まともなことを書かねばいけないというプレッシャーもあり、また技術的なことを書いてもニッチに過ぎるかなと、なかなか筆が重く、前回の更新より数ヶ月経過してしまいました。

そんな中で考えたのは、このブログの今後のテーマとしては、何となく私が普段考えている思考実験や思想的なものを書き残していこう、という、さらにニッチな方面を目指すことでした。

本業(といっても現在は絶賛休業中ですが) の面から考えれば、ユーザーを引っ張ってくるためには必ずしもお勧めしないコンテンツではありますが、私という個人の思想を出していくことは、ただ技術の開陳や実績をアピールするより、私自身をより深く知ってもらえていいのかなと考えています。

たいして身のある話はないと思いますが、今後ともよろしくお願いいたします。

第一回目のテーマは、以下から。

 

無敵の「水」

前置きが長くなったので、本文は簡潔に進めたいと思いますが、子供のころ、おにごっことかかくれんぼをした経験は、多くの人にあるかと思います。その時のことを唐突に思い出したので、それにまつわる話を。

おにごっこやかくれんぼをするとき、同学年の子たちばかりでやる場合にはさして問題なかったりするんですが、公園や校庭で遊んでいるときなどは、違う学年の子や、運動が得意でない子なども混じったりしますよね。そんな時に私が住んでいた地域では、救済ルールというものがありました。

鬼ごっこならタッチされても鬼にならず、かくれんぼで一番に見つかったとしても、次の探し役にはならないでいいという、いわゆる無敵ルールです。その無敵キャラの呼び方は「水」でした。

当時はなぜ「水」と呼ぶのか分からなかったのですが(たぶん由来は誰も知らなかっただろうと思います)、今から考えると、とても深いなあと、この呼称を付けた誰かを尊敬したくなるような気持ちになります。

「強いものが生き残るのではない。変化に対応できるものが生き残る」とはダーウィンの言葉ですが、なるほど「水」ほど変化に富むものはありません。温度によって様々に形を変え、場所によっては穏やかにも激しくもなり、様々なものを柔軟に受け止める。

水は生物とは言えないでしょうが、変化に対応できるものこそ最後まで生き残る=最も強いものと考えれば、無敵=水ともいえ、それが出てくるセンスというものには、ただただ驚嘆します。子供が普通に考える無敵、というイメージから「水」はほど遠いでしょうし(少なくとも当時の私は思いもつかなかった)、また皮肉も効いています。もしかしたらこの呼称を考えたのは子供たちではなく、ちょっと年上のお兄さんとかお姉さんだったのかもしれません。

そんなことを思い出して考えたのは、私自身もこんないいセンスをしたものづくりができればいいなということと、今後一つの仕事・一つの職場だけで生きていくということが難しくなる社会情勢において、自分はどれくらい柔軟に変わっていけるか、またどれくらいいろいろな経験をして、持てるカードを増やしていけるか、という反省でした。

まあ、無駄に多い転職回数とか、いろいろな分野の仕事をしてきたこと、広く浅くをモットーに様々な知識を収集してきたこと(たいてい机上の空論なのが悲しいところですが)、それが先の見えない今後に多少なりとも役に立てばいいかなと、後ろ向きなのか前向きなのか分からない結論に達したところで、今回はここまでとさせていただきます。ここまでお読みいただきまして、誠にありがとうございました。

 

P.S
「水」をいい風に解釈しましたが、悪く取ればおにごっこやかくれんぼでの無敵って、そのゲームに直接関与しない、ある種第三者的な立ち位置であって、ゲームには参加しているけれど除け者、って事でもありますよね。

そこで、ゲームのプレイヤーとは別枠の「水」という無機物の名前を割り当てることによって、それを明確にしていると考えると、「水」は触れられるが手の中に納めておくことはできない=相手にしても無駄、とも言えるわけです。

こんな風にネガティブに受け取ってもセンスいいなあとは思いますが、ちょっと「水」の当事者からすると悲しい話になりそうなので、いい方に受け取って考えた方がよさそうですね。ええ、当時の「水」のひとりとしては。

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